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日本兵の分類は、戦争中に拘束された「捕虜(俘虜)」(POW,PoW:Prisoners of War, captured)、
戦争後に拘束された「降伏日本軍人」(Japanese Surrendered Personnel:JSP)又は
「被武装解除軍人」(Disarmed Military Personnel)、そして「戦犯(戦争犯罪容疑者)」(war criminal) に分けられ、
捕虜や降伏者は収容所に、戦犯は刑務所や監獄に拘束された。

終戦後、東南アジアでは63万人余の日本兵が武装解除して、日本降伏軍人(JSP)と扱われ、
うち10万5千人余(他の資料では約113,500人)が、
英軍を主力にした東南アジア連合国軍 SEAC (South East Asia Command) の命令
(ビルマ・マレー・シンガポール・ジャワ等地域別作業隊人数指示)によって、
1946年(昭和21年)7月以降も“作業隊”として収容所に抑留され、速やかな帰国(帰還)ができず、
戦争終了後から1948年(昭和23年)1月の送還完了までの間、9千人弱が死亡しているという資料もある。

インドなどを含むビルマ方面作戦に参加した303,501名の日本軍将兵のうち、
6割以上にあたる185,149名が戦没し、帰還者は118,352名のみであった
別の資料では、終戦の日の1945年8月15日に、インドを含むビルマ方面には約7万1500人の日本兵がいたとされている。
戦後に死亡したビルマの日本兵は2,600名という統計もある。

強制労働を日本軍が拒否できなかった理由は、英国軍のマニュアルに、
日本兵に言うことを効かせるには、「帰国を遅らせる」と脅せばよいというものがある。