>>333
伏見城には多くの兵は入れないし、
戦略上、老兵が果敢に戦って討ち死にして、
東軍の士気を上げて最後のご奉公というのが家康の戦略であって、
兵が少ないから伏見城に入れないというのは、
戦略として合わない事であり、
やはりポスト関ヶ原の島津討伐を考えた場合に、
島津の老兵義弘が伏見城で討死という恩義を
売らせたくなかっただけだろう。