①伏見城には多くの兵は入れられない。
②決戦を前に、徳川の重臣が伏見城で果敢に戦って討ち死にして、東軍の士気を上げたいという戦略があった。
これはもう何人も覆し難い戦略上の事実であり、
この前提が覆し難い事を考えれば、
家康が義弘の兵が少ないことを理由に、
伏見城の籠城を断ったということは、
実際の伏見城で少数の兵で鳥居元忠程の重臣が討ち死にして
東軍の士気を上げるという戦略とは異なる事情で、
義弘の籠城を断ったということにしかならない。