>>498
清洲会議は裏切りと言えるかどうかわからんぞ
こうだけど。
> こうした通説に対して柴裕之は、
そもそも信長の後継者である信忠に何かあれば、
その嫡男である三法師が家督を継承することは信長存命中からの方針[注釈 1]で家中に異論がなく
(勝家が信孝を推したとするのは『川角太閤記』の創作とする)、
清洲城で会議が開かれたのも三法師が滞在している城だからであり、
会議で問題になったのは三法師が成人するまで「名代」を設置するか否かで、
信雄と信孝の対立の焦点もそこにあったとしている。
信忠の同母弟であるが光秀討伐の功績のない信雄と、
光秀討伐の功績はあるが三法師との血縁が薄く、
三法師の後継者としての貴種性を揺るがしかねない信孝とでは、
いずれも家中の納得を得られないため単独の名代の設置は回避された、と柴は説いている。
つまり柴の指摘に従えば、清洲会議は「信長の後継者を決める」会議ではなく、
信長の後継者である三法師がいる清洲城に集まって「三法師を支える体制を決める」会議であったということになる[9]。