>>202 昭和天皇が自らなにかされたとでも思ってるのか

昭和帝が木戸と相談して決めてしまった。
このころは薩摩長州の元老も居なくなってしまったからね

<欧州戦開始>

■1941年に南方進出が決定された。「対米英との戦争も辞さない」とあったが
 これは方便で海軍は対米英戦などする気がなかった。6月に独ソ戦が始まると
 演習と称して85万人の大部隊を国境に集結させた。しかし対ソ宣戦布告は
 米国の中立法が発動され石油禁輸となる恐れがある。南北で2正面で戦う
 危険があったので抑止された。
 
■7月に南部仏印に駐留。現地は平和裏に行われたが米国が日本資産凍結、
 石油禁輸という強硬手段に出られる。ここまで強硬対応されると予想外
 だった。支那での戦争に石油は必要不可欠。外交交渉が活発になった
 
■8月に机上演習をおこなったが「青国(日本)は国力上必敗」との結論。
 東條は「実戦とは異なる」としたが内心危惧していた。
 同月部局長会議を開いておおむね10月に対米戦争準備を終了という
 日程になった。しかし海軍は内心自信がない雰囲気を出していたので
 「もし海軍に自信が無いというのなら考え直さないとならない」と
 理解も示した。しかし支那からの撤兵は「絶対できない」と固執した。

■ここで木戸右大臣は東條を総理にして事態を収拾する奇策を考えた。
 対米戦をもう一度練り直せ、ということだ。10月17日に大命降下。
 東條は総理大臣と陸軍大臣と内務大臣を兼任。内務大臣は自分への
 国内テロを抑えるため。

■国内の鉄生産は昭和16年で430万t。海軍85万屯陸軍83万屯
 残りは民需。海軍の嶋田はこれを増やすことを条件に開戦に同意した。
 軍令部永野は「1年目2年目は勝てるが3年目は確信が持てない」と
 明言していたので驚かれた。