>>210
 
それは東京裁判向けのあと知恵。
総理大臣の任命書にも、開戦の詔にも天皇御璽が押してある。
途中経緯はどうあれ、最後は承認したということだ。

昭和帝が裁判にかけられなかったのは
占領を円滑にするためだ
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『決定版太平洋戦争H日本降伏』(学研2010)
「日本降伏をめぐる連合国の思惑と動向」米国編

■ルーズベルトが死亡しトルーマンが大統領になった。
 対日政策を融和的にするつもりはないと語りスターリンを安心させた。
 が、反共主義者でルーズベルトのようなソ連に融和的ではなかった。
 4月23日会議でソ連に対する態度を変えた。

■7月末にポツダムで会議が行われ主に欧州新秩序に関するものだったが
 同時に対日に関する宣言も行われた。8月10日に「天皇の地位を
 変更しないとの了解のものに受諾する」と回答した。
 8月14日トルーマンがそれを了承し終戦となった。

■ソ連は「降伏を命令していない」と屁理屈をつけ満州侵攻を続けた。

■ルーズベルトの「無条件降伏」の意味は南北戦争で北軍が南軍に
 言ったのと同じで「滅ぼす」ことを意味していない。しかし
 英国など弊害が大きいとして反対していた。

■日本降伏のシナリオには6つ検討されたいた。代表的なものは2つで:
  1)天皇を味方につけて統治する(soft案)
  2)天皇制は廃止し天皇に責任を負わせる(hard案)
 最終的に1案採用となった。